




2005年
入社
2005年入社
顧客や外国船の税関手続きや、コンテナヤードにおける本船プランニング・フォアマン業務
2007年
10月
2007年10月
スポーツ用品メーカー配送センター業務、フォワーダー業務
2008年
10月
2008年10月
本船プランニング・フォアマン業務、ヤードコントロール業務
1~3年目
1年目に、お客様や外国船の窓口として税関や入国管理局の手続き業務を経験、2年目からは港のコンテナヤードで本船プランニング・フォアマンという業務に就きました。海外から到着する船のコンテナ積み降ろしプランを立て、作業員に指示を出す業務です。コンテナヤードの仕事は時間との戦いです。本船プランニングは、船の安全な航行に支障をきたさないようなコンテナの積み方をプランニングし、船側の了承を得る必要がありますが、船側から了承が得られない場合、出港までの数時間でプランを練り直し、予定時刻に間に合わせなければなりません。最初のうちは、港湾業界独特の専門用語や外国籍船員という言葉の壁に四苦八苦。右も左もわからず、先輩に聞きながら必死で業務をこなしていました。コンテナを積み込むクレーンが故障する、船の到着が遅れるなど、トラブルが起きたときにこそ、どう判断するかが腕の見せどころなのですが、経験がモノを言う仕事だけに、上司・先輩に助けてもらってばかり。船の到着が遅れ一人では対処できなかった際には、上司の助けを借りながら朝6時半までかけてなんとか船を送り出したこともあります。「とりあえずやってみろ」と任せてくれ、問題が起きた際は、温かく厳しく見守ってくれた上司・先輩がいたからこそ、今があるのだと思っています。
3年目
入社3年目の10月から1年間、海外トレイニーとして、ベルギーのアントワープにある欧州住友倉庫に派遣されました。派遣が決まったときは、うれしさ半分、不安半分。派遣前に語学学校で数カ月間英会話を学んだものの、耳が慣れるまでは言葉の壁に苦労しました。主な業務は、倉庫内にある大手スポーツ用品メーカーの配送センターで、お客様の工場から輸送される商品の受入れ、在庫管理、ヨーロッパ全土にある小売店への出荷などでした。最初は、お客様の電話の指示が明確に聞きとれず、意味もよくわかっていないのに「イエス」と返事して、急な商品出荷ができなかったという失敗もしました。また、ベルギーは移民が多い国で、現地スタッフもスペイン系、アフリカ系など様々で、文化や価値観の違いにも直面しました。英語は通じても、大まかな指示を出して「やってくれるだろう」では、物事は動きません。残業はしないお国柄もあって、何をいつまでにどうするか、きっちり指示しないといけないなど日本の常識が通用しないことも学びました。
現地スタッフからすると、「本社から言葉もよくわからない日本人が来た」と戸惑いもあったと思いますが、一人で検品を黙々とやっていると言わなくても手伝ってくれるようになり、仕事後に飲みに行くようになり、と帰国が迫る頃には随分と信頼関係を築けたように感じます。現地日本企業の通関手続きや輪送手段手配などの業務も経験し、国際物流の一端を担っている実感が得られただけでなく、休日には興味のあったヨーロッパ各地の遺跡を見に行くなど、忙しさの中にも充実感があり、とても良い経験になりました。
4年目~現在
帰国後は神戸に赴任し、本船プランニング・フォアマン業務や、コンテナヤードに運ばれてきたコンテナの配置を考えるヤードコントロール業務に就いています。本船プランニング・フォアマン業務は東京でも経験していた業務ですが、海外で違う価値観に触れ視野が広がったせいか、物事を俯瞰し、ヤードで作業するいろんな方の立場になって指示が出せるようになったと思います。自らの業務の傍ら、若手社員の指導もしていますが、気付くと若いときに先輩に言われたことと同じことを言っていますね。同じ寮だった先輩は、何をするにも理由を求めてくる方でした。「正解でも、不正解でも、なんとなくじゃ駄目だ。不正解でも理由があるなら、失敗してもいい」と。そのときたまたま正解しても、理由がなければ次に活かせません。一週間後、一カ月後、さらにその先のことを考えて改善を繰り返すことで、トラブルが起きた際の対応力や判断力が身についてくることを実感しているので、後輩たちにもそうなって欲しいと願っています。今も変わらないのは、6,000個ものコンテナを積める5万トンクラスの大型船の荷役を無事に終えたときの達成感です。そのうち自分たちが関わるコンテナがわずかであっても、現場作業員の方と協力して安全に業務を終え、船の出港を見送るときは大きな充実感があります。入社当時希望していた海外に関係する仕事に就き、10年のキャリアの中で多くの人と出会えたことは、とても幸せなことだと思っています。